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緑一色

初めて麻雀牌を握ってから、早いもので30年以上が過ぎてしまった。
訳あってバスケ部を辞めた後、軽音楽部に身を寄せていた高校時代、野郎ばかりの部室でタバコと一緒に覚えた(覚えさせられた?)物の一つがこれだった。面子が足りないからと無理やり座らされ、わけもわからず見よう見まねでツモっては切ってを繰り返し、理由も理解できぬまま要求された通りに点棒を渡し、終われば精算と言われて数百円を毟り取られて、その時になってやっと自分が負けたことを悟った、それが原点だった。
古本屋に行き教本を買った。それを読み、なぜか心が踊った。確かにルールは複雑怪奇、最初に牌をツモるまでに行うそれは、まるで黒魔術か何かの儀式のように思えた。しかし、読み進み実戦を重ねていくと徐々にそうした一連の決まりごとがイカサマを排除し、自分がどういう手牌でゲームを始めるのかを開くまで察知できないよう仕組まれたものだとわかっていく。そうしてそれらが当たり前の行為になっていたように思う。4人集まれば部室で麻雀、まだファミコンさえ存在しなかった1981年冬の横浜で17歳を過ごしていた自分を思うと、今歩きながらスマホでゲームをやっている若い衆にも特段違和感を覚えることもない。勉強や仕事という課せられたものではない何かだからこそ人は燃える、そういうことなんだろうと思うのだ。
初めてあがった役満は四暗刻だった。確かこんな形だったと思う。

①①①⑦⑦⑦二二二八八八西西北北→北をツモ

手積みだった時代、騒音対策もあって洗牌をないがしろにするとだんだん牌が集まってくる、つまりよく切れていない状況が場にできあがることが度々あったが、この時もそんな背景があったと記憶している。前局で誰かが対々和をあがり、そのまま二、三回牌を撫でただけで積んだヤマだったからだ。早い段階で暗刻が三つできたが他がなかなか形にならず、焦っていたところに他家からリーチがかかり、回しているうちに筋を抑える形でテンパイしてしまった。そしてシャボ待ちの北をツモったというわけだ。
その後、大三元もあがった。中、発と鳴いたところで「これはないだろ!」と上家から切られた白を鳴いた。そしてすぐに①④ピン待ちになりツモあがった。32000点はパオということで上家が払った。今、おいらが打っているシビアな世界とは全く違う牧歌的な役満だった。
そんな風に、部室麻雀では怖いもの知らずで世間知らずの4人が爆笑や苦笑の中で麻雀を打ち続けていた。もちろん、そこには何度か役満もスパイスとして登場したが、おいらの心の中にはそうした物とは全く違う、一度はあがってみたい役ができあがっていた。
それが緑一色だった。
この役は本当に不思議だと常々思う。確かに他の物と同じ様に漢字で表記されるが、緑以外の色を使った牌を除いた、という条件に合致する牌はたった6種類しかない、それだけを使った形であがったら役満にしよう、という発想が他の役満とは全く違っている。歴史を調べれば、これはアメリカで考案されたもので、その発端について諸説があるようだが、中国が母国のこのゲームが一度太平洋の向こう側で熟成され、その後日本に入ってきたという流れに興味を惹かれた。しかもこの役、いざ作ってみようとすれば非常に難しい。何度トライしても、鳴けば鳴くほど警戒される上、テンパってもたいてい安目を引いて泣く泣く発混一色であがる、というパターンにハマり、しばらくチャンスさえ訪れないという形に陥ったものだ。チーも可能な、他の役満にはない特典付きだというのに(厳密に言えば大三元と小四喜も字牌以外の部分でチーは可能ではあるのだが)。
しかし、そんな高校時代が間もなく終わるという1983年になって変化が起きる。あの日、おいらは大学受験で明大前にいたのだが、試験を終えた後、どうしてもまっすぐ家へ帰る気持ちにはなれなかった。もちろん、問題に全く歯が立たなかったこともあったのだが、当時は精神状態がぐちゃぐちゃで、とても大人しく参考書と格闘を再開するなどできなかったのだ。言ってみれば、とにかく立ちいかないあれやこれやをぶっ飛ばしたいという衝動を必死に抑えていたような心境だったのだ。
おいらは、目に付いた「麻雀」の文字に誘われ雑居ビルの階段を上がった。そして、店主と思しき初老の男性に「初めてですが、これから打てますか?」と声をかけた。彼は一瞬訝しげな顔をした後、店の様子を眺め「いいよ、どうぞ」と答えた。そして新聞を読みながら待っていた大人2人に声をかけ、最も奥の卓においらを連れていった。ルールの説明をされたが、もちろんそれが何を意味するのかはわからなかった(今から思えば点5でウマがなんたらとか言われてた?)。
積まれていた牌山が崩されて、ガシャガシャと洗牌が始まり、また山が積まれた。2回サイコロが振られ、おいらは西家になった(場決めの四風牌引きはされなかった。多分、高校生だということがわかり、いちいち座席を変わらず適当に相手をしてさっさと終わらせようとでも思っていたのかもしれない)。起親の店主がまず連荘し、次に上家が親満をあがった。おいらは荒れ模様の中でとにかく振り込まないよう必死に食らいついていた。何とかテンパイしてもあまりに待ちが悪く、リーチすらかけられない中で、細い糸を切らないように手繰るかの如くツモのみであがって親を自分に持ってきた。それがおいらにとって初めての「雀荘におけるあがり」で、初めての親番でもあった。
確か、配牌は特段大したものではなかったように思う。とにかく連荘しなければという気持ちだけで、最も上がりやすい手を目指した。必死にテンパイをとろうとしている中、下家がやっと出てきた南を鳴いたところでガラっとツモの流れが変わった。更に下家がポン、チーと手を進める度においらには同じ色の牌がなだれ込んできた。元々タンヤオを頭に描いていたので、イーソーもキューソーも早い段階で切り捨てていたが、その為おそらく誰もおいらがソーズに染まりつつあることはわからなかったのだと思う。上家が動かないソーズの下に嫌気が差したのかまずイーソーを落とし、次にサンソーを切った。おいらはそれを鳴き、こんな形になった。

223346688西 234

そして次巡に5をツモ切り、次巡で4をツモった。

西を切ってテンパった直後、下家が「筋、は通るだろ?」と言いながら8を切り、おいらは「ロン」と声を出しながら手牌を倒した。しかし、この手が何になるのかわからなかった。もちろん、間違いなくソーズの清一色だったが、役満の緑一色になるのかどうか判断ができなかったのだ。おいらが愛読書にしていた教本では「発を含まない場合は役満にはならない」と書いてあったのがその理由だった。
振り込んだ下家は「あー、ここで発1枚切ってるじゃん、惜しかったねぇ~」などといいながら18000点、つまり清一色タンヤオでハネ満を暗に主張しながら点棒を卓上に置いた。それを見て、おいらはヤニで真っ黄色になっていた天井を見上げながら、やっぱり役満じゃないのか・・・、と心の中でつぶやき、その点棒を拾おうとした。その時、店主が「いや、緑一色だよ」と助け舟を出してくれたのだ。
今では、この「発がなければ役満とは認めない」というルールを採用しているのは極々限られた場でしかないこともネットで調べればすぐにわかることだが、あの頃はそんな手管など存在しなかった。ある意味言った者勝ち、もっと言えば声が大きい人間が勝つような時代だった。大人の中に高校生が一人、そんなシチュエーションはまさしく「強く出たものが正義」と同義だった。しかし、店主は余計なトラブルを避ける意図もあったのか、グレーなこの「発なし緑一色」を役満と認定してくれたのだ。
おいらの緊張は、あの瞬間に全て解けたような気がする。麻雀に対する緊張、大人に混ざって何かをする緊張、金銭をやりとりしながら雀荘に身を置く緊張、もしろん親であがったあの役満で入った48000点で、大敗しオケラになる恐怖からは解放されたが、それまでの緊張はそこから発信されていた。そんなものが、店主の一言で霧散したのだ。
結局4半荘を打ち終わり、おいらは店を出た。場所代を払って財布の中身は店に入る時とほぼ変わらなかった記憶はあるが、あの緑一色をめぐる下家と店主の言葉や態度、いや漂っていた臭いまでもが今でもはっきりと思い出せる。正直、あれがなかったら21世紀になっても麻雀を打ち続けてはいなかったようにさえ思う。

あの年、浪人仲間と予備校の帰りに顔さえ合わせればセットで雀荘に入り、夏までだから、と言いながらやっぱり麻雀を打っていた。そして2回ほど緑一色をあがった。どちらも発が入っていて、1回は面前で牌を倒した。なのに、それ以降はただの一度もこの役満をあがる機会が巡ってこなかった。自分にとって、最も身近であがりやすい役満だった緑一色は、時間と共にどんどん遠くへ離れていき、気がつけば最も難しくあがりにくい役満の一つになっていた。
迎えた今年1月25日、蒲田で30年ぶりに緑一色をあがった。
発を鳴き、4を4枚使うというありえない展開から、5、7、9と結果として迷彩になる捨て牌を重ね、こんな形で。

2244488 発発発 234→2でロン

嬉しかった。
「そんな捨て牌で!?」という驚きの声を笑って受け流しながら、あの明大前の雀荘で打った感覚をリアルに思い出した。
そして、ここまで麻雀を打ってきてよかったとも思ったのだ、じんわりと。

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